2012年9月26日 (水)

語り継ぎたい、小さな遺品

他界した祖母の遺品を、整理していたときのこと。
衣類の間から、黄ばんだ木綿の巾着袋が出てきました。

振ってみると、ちゃりちゃり。金属らしきものが中で触れ合う音。
巾着袋の中には、昭和の小銭が入っていました。

お金に刻まれた、小さな文字を読むと、
「大滿洲國(だいまんしゅうこく)」と書かれたものや、
昭和初期の、一銭に五銭……
1円よりも小さな単位がじゃらじゃら。

お金の単位が、漢字表記で統一されているところに「時代」を感じます。


思わず首をかしげたのは、
大きさ1.5cmほどの、見た目にもチープなネズミ色の小銭。

他と比べて小さいうえに軽く、
質の悪い材料から作ったんでしょう、
文字がすり減り消えかかっていました。

光をいろんな角度から当てて、浮かび上がった文字を読むと、
「大日本 昭和一九年」とありました。

終戦の1年前の年号です。

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見比べて面白かったのが、昭和14年の一銭。

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模様も文字も、しっかり残っています。

ちなみに昭和19年の一銭は、14年のものに比べて
全体的に1ミリほど小さいです。


ところで、お金は国家が流通させるもの。
2枚の一銭を見比べると、5年間で国内事情が大きく変わった印象を受けます。

昭和44年に、暮らしの手帖社が出した『戦争中の暮らしの記録』。

この本によると、日本は南方の軍事拠点を失い、
昭和19年晩秋には、アメリカの艦載機B29が東京上空を飛ぶようになったとあります。

この年、都市部では、
身の安全を求めて疎開(そかい)する人々が増え、
昭和20年3月には東京大空襲が起こっています。

敗戦の気配がただよう中、昭和19年の一銭は造られたようです。


「戦争の経過や、それを指導した人たちや、
大きな戦闘については、
ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。
しかし、その戦争のあいだ、
ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人たちが、
なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、
どんなふうに暮らしてきたか、
それについての、具体的なことは、
どの時代の、どこの戦争でもほとんど、残されていない。」

「この日の後に生まれてくる人に」『戦争中の暮らしの記録』より抜粋。


当時の貧しさを雄弁に語る、昭和19年の一銭。

資源に乏しい国が、
アメリカという大国相手に戦争を続け、国も民も
もの不足にあえいでいた当時をもの語る貴重な考古資料です。

戦時中の暮らしがどういうものだったのか、
昭和初期の一銭を並べ置いて、わが子や孫に語りついでいくつもりです。

2012年7月21日 (土)

向かうところ、遺跡あり。…その壱…

産後1ヶ月で更新すると、知人に宣言しておきながら
出産後、長らく放置していたブログ……。
とにもかくにも、ようやく再開です!

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今春、3200gで「おんぎゃぁ」と誕生!


さて、タイトル通り、
わたしが出産した「九州バースセンター うばがふところ」は、
縄文人の骨が出たことで有名な、山鹿(やまが)貝塚の近くにあります。

この貝塚、実は、母子に縁の深い遺跡なんです。

臨月間近の、大きなおなかで、
母と子にまつわる考古遺物を記事にしていた人間としては
並々ならぬ縁を感じてしまいます。


ところで、「バースセンター」って
あまり聞き慣れない響きではありませんか?

産婦人科でも助産院でもない、この施設。

総合病院の産婦人科医師と、
バースセンターの助産師とが、
カルテを共有している施設なんです。

たとえば出産時、
赤ちゃんや産婦さんに、
緊急で大きな病院に診てもらう必要が起きたとします。
すると、救急車ですぐさま、
最寄りの総合病院へ搬送してもらえるんです。
時間にして10〜15分という近さ。
まさに「備えあれば、憂いなし」です♪


出産を終え、このお産施設で過ごした数日間。
スタッフの方々が、多方面にわたる話をしてくださいました。

中でも、印象深かったのは、
「救える命は救わなければ」という言葉。
命をあずかる人間の熱い責任感と、
この施設の設立理由をかいま見ることができました。

詳しくはこちら!
http://www.kyusyu-bc.com/concept.html


今回、和室風の分娩室にて、
夫と息子に見守られながら挑んだ出産。

分娩台に上がらず、点滴も付けず、
自分が楽な姿勢で、いきみたい時にいきむシンプル出産でした。

その経験から、あらためて
「お産は病気ではない」と気づかされました。
動物が子を産むのと、何ら変わりない「自然」なことなんだと……。

だがしかし、です。
現代人ゆえ、ひと昔前とは生活習慣がまるで違います。
安全なお産をするために「必要な薬は使う」という、
バースセンターの姿勢にはとても共感がもてました。

お産は、母子ともに命がけ。
誰だって安全に命を産み落としたいですもんね。

!! 次回予告 !! 

8月中にアップ予定。
『向かうところ、遺跡あり。…その弍…』

貝塚って、ゴミ捨て場のイメージですよね。
山鹿貝塚と母子。どんな繋がりがあるんでしょう⁇

2012年3月24日 (土)

全3回の連載、終了しました♪

春めいてきたからか、それとも基礎体温高めの妊婦だからか、
それほど寒くはない今日この頃。

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公園の木々にも春の訪れ。


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■となりの考古学 〜福岡にまつわる遺物たち〜(全3回)■
 ◎第3回◎ 後産(あとざん)の今と昔 
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こんにちは。
妊娠も9ヶ月目に入り、テレビで出産シーンを目にする度に
身の引きしまる思いがしています。

よく知られていることですが、
出産は「赤ちゃんの誕生でおしまい」ではありません。
喜びもつかの間、続いてやってくる後産。
これを終えて、ようやく産んだ側は気が休まるものです。

10ヶ月の間、赤ちゃんの命を育み、ついに役目を終えた胎盤。
その後の行方、気になりませんか。

現在は、胎盤を専門にあつかう業者が、産院まで引き取りにきて、
法律にのっとり焼却するのが一般的だそうです。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

さて、1930年代。
家でのお産が当たり前だった時代、
胎盤は今とは違い、大切に扱われていました。

当時は、家の中に埋めていたんです。
その場所は、人が出入りする入口や、産屋の役目をかねた寝室の床下。
入口に埋めるのは「よく踏み固まるので、子の寿命が長くなる」との理由から。

この胎盤を埋める風習、
一体いつごろから行われていたんでしょうか。

中国にある、紀元前の遺跡・馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)。
この墓で、出産について書かれた医書『胎産書』が発見されています。
『胎産書』からは、胎盤=胎衣(えな)を、ていねいに水や酒で洗い、
甕(かめ)に入れて密封していたことがわかります。

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所変わって日本。
「なんと(710年)大きな」といえば、奈良の都・平城京。
この都の西側から、胎衣壷(えなつぼ)と呼ばれる、
古代人の胎盤を納めた器が見つかっています。

胎衣壷が埋まっていたのは、建物のすぐそば。
須恵器(すえき)という青灰色をした壷(つぼ)に、
当時のお金・和同開珎(わどうかいちん)、墨、筆を入れて埋めていました。
いっしょに入っていたであろう、胎盤は腐敗して、
壷の中に残ってはいませんでした。
http://bit.ly/x6ThEb

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ところで古代、文字を書く機会が多かったのは男性のほう。
国に関わる仕事をする役人、学識ある人たちは職業柄、
日常的に墨や筆を使ったことでしょう。

「わが子が、母のおなかを出たあとも無事に成長しますように」
「生き永らえて、将来、出世しますように」
そんな思いをこめて、親たちは胎衣壷に、
当時の筆記用具である墨や筆を入れたようです。

民俗学の話になりますが、
男の子の胎衣壷には「墨・筆・お金」を入れたそうです。
そのため、この胎衣壷にまつわる、
赤ちゃんの性別は男の子だったと考えることができます。

胎衣壷と思しき、古代の土器は、
小郡市・上岩田(かみいわた)遺跡の、集落跡からも発見されています。

こちらは、700年代後半のもの。

土師器(はじき)とよばれる、赤茶色をした甕(かめ)に、
墨で「丙乙麻呂」書いた蓋を乗せた状態で見つかりました。
ちなみに「麻呂」は、古代の男性によくある名前。
「丙」や「乙」は、暦(こよみ)に関係のある漢字です。
http://bit.ly/x6ThEb

産まれた年や、性別を書いたのかしら。
想像がふくらみます。

考古学の見方から離れたとき、
ふいに、ものを言うはずもない遺物がもの語ることがあります。
考古学の醍醐味は、まさにそこかもしれません。


2012年3月10日 (土)

胎衣壷(えなつぼ)

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胎衣壷のイメージ図
(平城京・右京五条四坊三坪出土品をもとに)

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小郡市・上岩田遺跡出土の胎衣壷
(小郡市教育委員会提供)


2012年2月21日 (火)

2回目の連載アップしました♪

Photo 写真は、年末に実家でついた丸モチ。


あれは高校時代。
有名な学者さんがお書きになった、考古学の入門書を手に取ったはいいが、
途中で「難しい〜」と放り出したことがありました。

「理解力が足りないんですね、すみません」
そう割り切って生きてきましたが、
この連載を書くにあたって気づいたことがあります。

それは「読み手がどこまで知っているか、想像して書くこと」の大切さ。
読み手に対する気配りって、とても大事だと感じています。

こういった連載は、自己満足に陥りやすいだろうから尚更......。

わたし自身を虜にした、
考古学の「知る楽しみ」を少しでも感じてもらえれば幸いですshine

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■となりの考古学 〜福岡にまつわる遺物たち〜(全3回)■
◎ 第2回 ◎ 古墳に並んだ母と子
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今回は、古墳時代をとり上げます。

古墳時代という言葉から、ポンッと思い浮かんだのは
あのキャラクターではなかったでしょうか。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

80年代のNHK子ども向け番組『おーい!はに丸』。
「はにゃ〜?」でおなじみの武人や馬、建物のモデルになったのは、
1500〜1700年ほど前に作られた埴輪(はにわ)なんです。

ふつう権力者の墓「古墳」に飾るのは、赤い土で作った埴輪。
ところが筑後地域では、ひと味違ったものを古墳に並べました。

「石人・石馬(せきじん・せきば)」という言葉、
筑後地域に暮らす方なら、一度は耳にしたことがあるのでは?

石人・石馬は、文字どおり、石を人や馬の形に加工したもの。

といってもその種類は多様で、犬や鳥といった動物、
太刀などの道具を飾るところは、埴輪とよく似ています。
そのため古墳に置物を並べるという、当時の流行りに乗りつつ、
素材を石に置きかえたと考えられています。

石人・石馬が数多く見つかっている、八女古墳群。
ここ、古代九州の豪族・筑紫君(つくしのきみ)一族の墓域で、
石人・石馬は生み出されました。

作り始めたころの石人は、甲冑(かっちゅう)を身につけ武装した姿。
鎧(よろい)には「同心円」とよばれる二重丸の模様が彫られています。
この呪術色の強い鎧を身に着けた、石の武人は
墓に眠る主人を守る役目を担っていたとか。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

さて、時は西暦500年代。
海の向こう、朝鮮半島は動乱の最中にありました。

半島の南にあった百済(くだら)と国交の深かったヤマト王権。
百済の求める、派兵などの負担を引き受ける見返りに、
王権側は、最先端の技術や文物をどんどん取り入れていきました。

ところで、兵士として朝鮮半島に送られたのは
九州の人たちがほとんどだったという見方があります。
このことが、九州で随一の勢力を誇った筑紫君・磐井(いわい)が
乱を起こすきっかけのひとつになったとも言われています。

1年半にもおよぶ内乱の末、勝利したのはヤマト王権でした。
その結果、現在の福岡市内には「屯倉(みやけ)」と呼ばれる
ヤマト王権の政治・軍事の拠点が置かれ、国内統一が一段と進みました。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

八女市にある童男山(どうなんざん)古墳群。
磐井の乱の数十年後に造られた3号墳から、
赤ん坊を背負った母親の石人が出土しています。
http://kouko-writer.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-4a23.html
言うまでもなく、母と子は戦いとは無縁のモチーフです。
いかめしい武人に代わって、
何気ない「暮らし」そのものを象徴するかのような
母と子の石人が作られるようになったのです。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

ところで、同じころに作られた埴輪に似通ったものがあります。

栃木県・鶏塚(にわとりづか)古墳から出土した、子を背負う女子埴輪。
こちらは頭に壷を載せた庶民のいでたちです。
食料の入った壷を頭に載せ、背負った子をあやしながら
小道を行く母の姿が目に浮かぶようです。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

小さな命を背負う、石人と埴輪。
それらは、戦いに明け暮れた時代が終わり、
命の尊さを語ることのできる、平和な時代が訪れたことを
それとなく告げているのかもしれません。

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全3回の連載は『筑後川メールマガジン』でご覧いただけます。
http://fcm-design.jp/mag/

2012年2月15日 (水)

母子石人

童男山古墳群3号墳出土 母子石人

Photo

八女市よりお借りした写真資料です。
撮影時のライティングの加減か、それとも石人の残存状態がよくないのか、
肝心な「赤ちゃん」の姿を目で捉えにくいのが残念!

実物を見たかったのですが、
妊娠後期のおなかで、上の子を連れて、数時間かけて現地へ赴くのはさすがにムリcoldsweats01

下に載せているのは、想像図です。
「髷」の部分だけは、自信をもってマゲだと言い切れますが、あとは.......??

Photo_5

この髪型、腰の辺りまで長さがないと結えないかも。


2012年1月31日 (火)

連載が始まりましたshine

12月中旬に、海の見える町に引っ越しました。
夕日がとにかく見事で、眺めていると心が洗われます。

Photo

年明けて、考古学ネタの連載が始まりました。
嬉しさのあまり、こちらにもアップしましたhappy01

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■となりの考古学 〜福岡にまつわる遺物たち〜■
第1回 子をはらむ、産むかたち
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はじめまして。
10代で考古学と出会い、20代で専門的に学び、
今年ついに夢かなって、考古学をからめた記事を書くことになりました。

どことなくおカタいイメージのつきまとう考古学ですが、
人の想いがこもったもの、笑いがこみ上げてくるものなど、
親しみやすい遺物が土の中から顔を出すことがあります。

その一例を紹介しましょう。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

ふくらんだ胸、前にはり出したお腹......
けっしてメタボなおじさまではありません。                
縄文時代に作られた土偶は女性、とくに妊婦を表したものが多いんです。

妊娠土偶とよばれる、大きなお腹の土偶は福岡県内でも発見されています。

築上郡上毛(こうげ)町にある、
東友枝曽根(ひがしともえだそね)遺跡から見つかった
妊娠土偶の手足は欠けていますが、
土偶はこんなふうに壊れた形で見つかることがほとんど。
そのため、安産や病状の回復を願って作られた
「身代わり」だったとも考えられています。

この土偶、お腹が下がっているところをみると臨月間近でしょうか。
妊娠の週数が進むにつれ、ふくよかになっていく体。
わたし自身も妊婦なので、実感をこめて一言。
「妊婦って本当、こんな体型です」

ところで、百聞は一見にしかず。
東友枝曽根遺跡出土の妊娠土偶がどんな姿をしているのか、
興味のある方はどうぞ、わたしのブログを覗いてみてください。
kouko-writer.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-5bdd.html

実物は、ただいま九州国立博物館の文化交流展示室で見ることができます。
www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_mokuroku.html
本物に向き合うと、思わぬ発見があるかもしれませんよ!

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

その昔、妊婦は命がけで出産にのぞみました。
今とは比べものにならないほど、母子ともに死亡率が高かったんです。

縄文時代の巨大な集落が発見された、
青森県・三内丸山(さんないまるやま)遺跡。
この遺跡からは、埋甕(うめがめ)という、
胎児〜生後1年の乳幼児をおさめた墓が数多く発見されました。
sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/index.html
その数、大人の墓の約6倍。

この遺跡で暮らした人々の平均寿命は30歳前後だったそうです。
2010年度の平均寿命は83歳ですから、なんて短い一生だったんでしょう。
(※参考:WHO 世界保健統計2010年)

今よりも世代交代が頻繁に行われていた時代、
赤ちゃんといえども、いずれは集落の存続にかかわる大切な存在でした。
宿した命、産んだ命が育たずに絶えるというのは、
親やその家族の悲しみにとどまらず、集落全体の悲しみでもあったようです。

人々が暮らしていた住居のそばに埋甕を埋めたのも
「今度こそ生まれておいで」
「すぐにでも、また産まれておいで」
そんな切なる願いの表れだったのでしょう。

:・。・:・。・:・。:・。・:・。

さて、分娩台がなかった時代、
日本女性は座産(ざさん)といって、座って子を産み落としました。
たしかに座った姿勢のほうが、
分娩台に横たわるよりも何だか力が入りやすそうです。

岩手県の東裏遺跡から見つかった、中腰の土偶は
出産している姿に見えなくもありません。
www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/a/028.html
アゴを上げ、手をぐっと握っていきんでいるのかしら。
座産を見たり、経験した人の意見を一度うかがってみたいものです。

見る人によって、見え方が違うのが土偶の魅力のひとつ。

今はネット検索で、簡単に国宝級の土偶を見物できる時代です。
縄文のビーナスや合掌する土偶、
そして教科書でもおなじみの極端に大きな目をした遮光器(しゃこうき)土偶。
個性ゆたかな土偶の中から、
あなたのお気に入りを探してみるのも楽しいかもしれません。

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......いかがだったでしょうか?
全3回の連載は『筑後川メールマガジン』でご覧いただけます。
http://fcm-design.jp/mag/
次回は、2/16の掲載です♪

未知数のわたしに、チャンスを与えてくださった方々に深く感謝しておりますshine


2012年1月25日 (水)

妊娠土偶

妊婦を表したとされる土偶。

Photo

福岡県・東友枝曽根(ひがしともえだそね)遺跡から出土しました。

図は、写真をもとにして描いたものです。

細かいところまでは正確に写せていませんが、
全体の雰囲気はつかめるかと思います。

乳房の下がり具合が、初産ではなさそうsweat01
枕詞の「垂乳根(たらちね)」を絵に描いたら、こんな感じかもしれませんね。

2011年11月30日 (水)

脳裏に焼きつくとは、このこと?

今月は、お仕事の締切が相次ぎ、
忙しいなりにやりがいのある日々を送っています♪

ライターを始めて半年。
目標としていた「考古ネタ」の原稿を書く機会もいただき、
自分的には順風満帆ですhappy01

とある案件で、遮光器(しゃこうき)土偶について書きました。


_2


遺物同士を合体させた、オリジナルのイラストです。

いかがですか?
この、3歳の息子も後ずさりする存在感!

魔除けになりそう......sign02

うちの玄関に飾ろうかなcoldsweats01
『セールスお断り』とか書いて。

2011年11月23日 (水)

「考古ネタ」でお仕事いたします!!

今月末から12月中旬にかけて、
別件で2本ほど「考古ネタ」の原稿を書くことになりましたhappy02

1件は、チャレンジ!
まだお仕事と決まったわけではありません。

もう1件は、連載(3回)が決まりましたheart04

12月中旬に引越をひかえ、荷造りは全然進まず!
未だ断捨離状態を抜け出せずにいますが、
それでも嬉しい限りですnotes

貴重な機会を与えてくださった、すばらしく情に厚いベテランライターのSさん。
そして同じ年に生まれながら、わたしよりもずっと先を歩いてらっしゃる
とっても頼もしい先輩ライターYさん。
お二人の声かけがなければ、わたしは“眠りっぱなし”でしたshine
感謝の気持ちでいっぱいです!

記事になり次第、こちらにもアップします。
どうぞお楽しみに♪

«「七つまでは神のうち」

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