カテゴリー「育児」の記事

2012年7月21日 (土)

向かうところ、遺跡あり。…その壱…

産後1ヶ月で更新すると、知人に宣言しておきながら
出産後、長らく放置していたブログ……。
とにもかくにも、ようやく再開です!

Blob_birth_2
今春、3200gで「おんぎゃぁ」と誕生!


さて、タイトル通り、
わたしが出産した「九州バースセンター うばがふところ」は、
縄文人の骨が出たことで有名な、山鹿(やまが)貝塚の近くにあります。

この貝塚、実は、母子に縁の深い遺跡なんです。

臨月間近の、大きなおなかで、
母と子にまつわる考古遺物を記事にしていた人間としては
並々ならぬ縁を感じてしまいます。


ところで、「バースセンター」って
あまり聞き慣れない響きではありませんか?

産婦人科でも助産院でもない、この施設。

総合病院の産婦人科医師と、
バースセンターの助産師とが、
カルテを共有している施設なんです。

たとえば出産時、
赤ちゃんや産婦さんに、
緊急で大きな病院に診てもらう必要が起きたとします。
すると、救急車ですぐさま、
最寄りの総合病院へ搬送してもらえるんです。
時間にして10〜15分という近さ。
まさに「備えあれば、憂いなし」です♪


出産を終え、このお産施設で過ごした数日間。
スタッフの方々が、多方面にわたる話をしてくださいました。

中でも、印象深かったのは、
「救える命は救わなければ」という言葉。
命をあずかる人間の熱い責任感と、
この施設の設立理由をかいま見ることができました。

詳しくはこちら!
http://www.kyusyu-bc.com/concept.html


今回、和室風の分娩室にて、
夫と息子に見守られながら挑んだ出産。

分娩台に上がらず、点滴も付けず、
自分が楽な姿勢で、いきみたい時にいきむシンプル出産でした。

その経験から、あらためて
「お産は病気ではない」と気づかされました。
動物が子を産むのと、何ら変わりない「自然」なことなんだと……。

だがしかし、です。
現代人ゆえ、ひと昔前とは生活習慣がまるで違います。
安全なお産をするために「必要な薬は使う」という、
バースセンターの姿勢にはとても共感がもてました。

お産は、母子ともに命がけ。
誰だって安全に命を産み落としたいですもんね。

!! 次回予告 !! 

8月中にアップ予定。
『向かうところ、遺跡あり。…その弍…』

貝塚って、ゴミ捨て場のイメージですよね。
山鹿貝塚と母子。どんな繋がりがあるんでしょう⁇

2011年8月26日 (金)

親心の今昔 ー『万葉集』編ー

銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも  『万葉集』巻5(803)

なにやら古めかしい言葉が並んでいます。
この歌は、8世紀ごろの歌人・山上憶良(やまのうへのおくら)が詠んだものです。

二十歳のとき、わたしが母からゆずり受けた『育児記録』の表紙の裏に書かれていた思い出の歌でもありますshine


銀も 金も玉も 何せむに ー銀も金も、美しい玉も、何の役に立とうー

20代前半で親になった、わたしの母は、
完璧メイク&流行の服を身につけたオシャレな友人に会うと、
「わたしなんて髪はボサボサ。お風呂にだってまともに入れない」そんな惨めな思いを抱いたそうです。

青春の只中で、子を授かった母は、もう少し若さゆえの美しさを楽しみたかったのかも知れません。

母が感じた女性特有の悲しみを、古代を生きた若いお母さんも抱えていたのでしょうか。
「美しく着飾ることよりも素晴らしいことがある」
憶良の歌からは、そんな想いまでもが伝わってくるようです。


まされる宝 子にしかめやも ーすぐれた宝も、子に及ぶことなどあろうかー

里帰りを終え、福岡に戻ってからは、赤ちゃんのお世話に翻弄されっぱなし。
飛ぶ矢のような勢いで1日が過ぎていきました。

ヘトヘトになって布団に倒れこむ毎日。
それでも夜中、お腹を減らしておっぱいをせがむ我が子に、寝ぼけ眼で授乳する日々。

朝起きたら、となりには安心しきって眠る息子の寝顔。
目を覚ますと、澄んだ目をキラキラさせて、幸せそうに、とろけるように笑ってくれました。

その笑顔を見るだけで、自然と親は「さあ!今日も1日がんばろう」という気になれたのでした。

どんな宝も、子どもの笑顔や温もりにはかないませんheart01

もし「その子と国宝を交換しよう」との申し出があったら、雷一発落としてやります。
相手が「人間国宝」でも怯みませんよ......!

まったくの余談ですが、『育児記録』のページをめくると
「おーい!はに丸」と見間違えそうな、武人埴輪のイラストが載っており、
まるで娘が将来、考古学にハマるのを暗示したかのような濃い一冊となっていますcoldsweats01


【co-con topics】その2

『身分と金銀』

今も昔も変わらず、金銀は「富の象徴」です。

古墳時代ーとくに6世紀代ーの権力者は、お墓に埋葬される際、その身をキンキラキンッと華美に飾りました。
ex. 奈良・藤ノ木古墳 

彼らは生前、金の馬具で飾りつけた光り輝く馬に乗り、
自らが身に付ける冠や耳飾り、帯飾りや沓(くつ)も金色にこだわりました。
そうやって、目に見える形で、支配域の民らに権威を示していたと考えられています。*1

金の輝きは「威信を保つ」役目を担っていたんですflair

とは言っても実のところ、古墳から出土する金は、純金ではなく金銅(こんどう)がほとんどでした。
金銅とは、青銅や銅の上に金メッキを施したものです。

さて、古墳時代の話はこのくらいにして......
今回紹介した歌の作者・山上憶良が官職に就いたころ、金や銀で着飾ることができたのはどんな身分の人たちだったのでしょうか。

同じ時代の史料に、718年(養老2)に出された『養老衣服令(ようろういふくりょう)』があります。
この中で、皇族や位の高い貴族(男性)は、金銀できらびやかに飾った革帯=ベルトを着用するよう定めています。

革帯は、光を反射してキラキラと輝き、遠目にもその人の位の高さが分かったことでしょうshine

一方、位の低い役人は「黒漆塗り」の帯金具付きベルトを腰に巻いた、地味だけど渋い装いでした。*2

こんな風に、位に応じた革帯を腰に巻くよう規定されたのは、712年ごろだと考えられています。
http://kouko.bird-mus.abiko.chiba.jp/main/theme/nazo_a5.html

さて、憶良が初めて、位を授かったのは714年(和銅7)のこと。*3
賜った「従五位(じゅごい)下」は、いわゆる貴族の位でした。

この時代、元旦朝賀といって、毎年元旦の朝に、臣下が天皇へ新年の挨拶をする儀式がありました。
その際、五位相当は「腰帯に金銀装のアクセサリーをつけ太刀も同様に外装した*4」そうです。

従五位下の憶良もまた、金銀の飾りの付いた立派なベルトを腰に巻いて元旦朝賀に出向いたと思われます。


[革帯金具の出土例]

国府・寺院といった貴族や役人に関わりの深い遺跡から出土。
ex. 元岡・桑原遺跡群(福岡県福岡市)
    古代、糸島地域は外交・国防において重要な役目を担い、製鉄や鍛冶を管理する公的な施設があったと考
    えられています。第二十次調査で、役人の職名などを記した墨書土器、硯(すずり)、役人が身につけた
    帯金具が出士。*5
    http://www.itogura.net/motookaiseki/index.htm

[参考文献]

*1 九州国立博物館『馬 アジアを駆けた二千年』2010年
*2 文化庁『発掘された日本列島 2007』2007年
*3 中西進 編『万葉集辞典』1985年
*4 飛鳥資料館『萬葉乃衣食住』1986年
*5 福岡市教育委員会『元岡・桑原遺跡群6』2006年

その他のカテゴリー

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

photo-since2011

  • Kouyou_20119
    ブログ内で紹介した写真はこちら。
無料ブログはココログ